「離れがたき二人」 シモーヌ・ド・ボーヴォワール 2021年7月発売
「神が存在するのなら、悪がどうしてあるのか理解に苦しむでしょう」
ブルジョワ階級が持つ偽善的な倫理観とカトリック独特の道徳、女という性、家族、と生きづらい境遇の中、誰よりも自由で才能に溢れて見えた親友が涙を流す。
親友を縛る母親も昔その母親に自由を奪われた。母親は女の人生はこういうものだと強要し倫理観は受け継がれる。唯一優しく守ってくれるはずの父親(=神)も自由や人生を奪う。
深い友情にこころ動かされラストは予想がついても引き込まれてしまう。生まれる時代がはやかったのか、早熟なのか、超越的な意思が働き二人の結末は不幸をさけられなかったと思うと悲しい。
スケールの大小はあるが因習的な社会で独立を目指す経験のある女性には共感できるのではないだろうか。
著者には娘時代、ザザという無二の親友がいた。彼女が著者に与えた影響は著者の人生全体に及ぶほど大きかった。そのザザをモデルとした、実体験に即して書かれた小説。
もう一度読み返したくなる。
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「サルトルとボーヴォワール 哲学と愛」 映画
1929年、ソルボンヌ大学に通うシモーヌ・ド・ボーヴォワールは、学内で天才と噂される有名人ジャン=ポール・サルトルから話しかけられる。
サルトルはボーヴォワールの美しさと聡明さに一瞬にして恋に落ち「理想の女性だ」と宣言する。はじめは警戒していたボーヴォワールも、サルトルの中に自分と似たものを見出し次第に打ち解ける。
普段から父が母をまるで召使いのように扱う事に疑問を感じていたボーヴォワールは、家を出て哲学の教師として働き始めたサルトルと暮らす事を決意する。
そんな時、母親から結婚話を押し付けられていた親友ローラの死を告げる手紙が届く。ボーヴォワールは、ブルジョワ階級が持つ偽善的な倫理観とカトリック独特の道徳を心から軽蔑し憎んだ。
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「人は女に生まれるのではない、女になるのだ。」 名セリフ 関連図書「老い」
シモーヌ・ド・ボーヴォワール
著書「第二の性」に記した有名な一節
いわゆる「女性らしさ」とは、社会的につくられた約束事にすぎない-という意味だ。その社会の中心は男性で、女性は男性に従う「第二の性」とされていると主張。フェミニズムの立場から、女性の解放を訴えた。
「第二の性」で、女とは社会的、歴史的に作られた存在だと論じ、女性が社会のなかで、搾取されていると説いた。
同じ手法で「老い」に着手し、老人もまた社会から疎外された存在であると説く。「老い」が書かれた1970年代、消費社会が極まり生産性のない「老人」が疎外されているのにそれについて全く語られることはなかった。だからこそ、「老い」をとらえ直す必要があるという。
「老い」の上下巻を読み切れないと思い、購入。
原著未読ながらも持った印象は、本書は原著を引用しその解説を中心に置きながらも上野千鶴子視点でテーマについて語っているようでわかりやすい、ありがたい。
“現役でなくなった構成員をどう処遇するかによって、社会はその真の相貌をさらけ出す”
老いによって能力が落ち自分で自分を受け容れられないことを自己差別と表現。いろいろな差別はあるが一番つらいのはこの差別だということ。
いつまでもありのままの自分を受けいれ、最大限に人生を楽しみたいです。
名著をベースに視野を広げ、真の自由を生きる
世界経済フォーラムの「グローバル・ジェンダー・ギャップ・レポート2020」によると、日本は男女平等で153カ国中121位、110位だった前年比11位、80位だった初年度の2006年比で41位減となっています。現在のランキングに基づけば、日本の男女格差は先進国の中で最大です。
女性らしさや社会においての女性の役割といった偏った倫理観や道徳は、いまだに日本社会に根付いていることに恐ろしさを感じます。
真の自由に生きるとは、単純に自分の好きなことをするのではなく、精神的に自由で根拠のある取捨選択をしないと飽きると思います。
名著をベースに知識を増やし思考筋をトレーニングし広い視野を持つことが大切ですね。
おまけ
丸山珈琲とてもおいしいです!
セールのたびに購入しています。読書のおともに!